すべて実際にあった質問です。
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Q:王仁三郎は悪いことをしたから弾圧されたんですか?
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A:二度も検挙されたのだから、王仁三郎はよほど悪いことをしたのだろう…と誤解している人も世間にはいるようです。しかし決して殺人や脱税のようなハレンチ罪で検挙されたわけではありません。また武力蜂起したから検挙されたわけでもありません。「不敬罪」という思想犯として検挙されたのです。思想犯罪というのは当局の都合で誰でも犯罪者に仕立てあげることができる恐ろしい罪状で、権力者が政敵を倒すために使われることも多く、思想の自由・言論の自由が確立された現代ではほとんどの国で廃止されています。
王仁三郎は暴力でもって社会を変革しようとしたのではなく、また政治の力で社会を変革しようとしたのでもなく、人間を精神面で変革させて行ったのです。それが当時の権力者にとって都合の悪いことであったことは事実だと思います。 -
Q:王仁三郎は天皇制度に反対したんですか?
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A:私は霊界物語を始め王仁三郎の膨大な著作を読みあさりましたが、王仁三郎が天皇制度に反対している箇所は一つもありません。それどころか逆に、天皇を翼賛するかのような言説の方がたくさんあります。
もちろん言論の自由が制限されている当時は、仮に天皇制度に反対していても、そういう言説を発表することはできませんでした。しかし反天皇の発言がないにも関わらず、当局は王仁三郎を天皇に対する不敬罪で検挙しました。
それは言動に不敬の事実があったから弾圧したのではなく、国民的カリスマとなった王仁三郎に、権力者が権力を奪取されるのを警戒して、それで弾圧したのです。王仁三郎は国家の指導者としての実力を十二分に備えている上に、有栖川宮熾仁親王の落胤という血統(つまり権威・権力の正統性)もあり、天皇を利用して政治を牛耳っている連中にとっては危険この上ない存在でした。
弾圧する一番簡単な方法は思想犯罪の「不敬罪」を使うことです。王仁三郎に国賊・非国民の烙印を押すことで社会的に抹殺しようとしたのですが、これが全くの言いがかりでした。
一例を挙げると──昭和3年3月3日に王仁三郎は満56歳7ヶ月となり「みろく下生(げしょう)」(要するに救世主宣言)を記念して「みろく大祭」が執行されました。祭典後に王仁三郎は神饌物の中から、自分用にリンゴを三つ取り、また妻の澄子には大きな大根と頭芋(里芋)を、総務(役員)には頭芋を一個ずつ与えました。
これを第二次事件の一審のとき裁判長は、この行為で王仁三郎が陰謀の密意を伝えたのだ、と決めつけるのです。リンゴ三つで三リン(三輪)となり、日地月三輪で宇宙を統一するのだから、地の王をなくして王仁三郎が世界の独裁君主となる意図を示したのである。澄子に大きな大根を与えたのは世界の「大根(おおね)」つまり世界の皇后になることを示唆したものである。また幹部に頭芋を一つずつ与えたのは、陰謀の一方の旗頭になってもらいたいという意味である…と大まじめに裁判長が言うのですから笑ってしまいます。
後に王仁三郎は「この事件はイモ大根事件や」と笑い飛ばしましたが、こんなバカバカしいこじつけで王仁三郎を罪人に仕立て上げて行ったのです。
不敬罪は当局のデッチ上げであり、決して不敬な言動を行ったわけではないのですが、だからと言って王仁三郎が当時の天皇制度を肯定していたかというと、そういうことではないと思います。天皇を翼賛するかのような言説がたくさんあるからと言って、当時の天皇制度に賛成していたわけではありません。
そもそも王仁三郎が言う「天皇」とは、地球上の日本というローカルエリアの元首ごとき存在ではありません。神より定められた天皇(すめらみこと)の天職とは、この宇宙を統べ給うことであります。つまり地上における主神が天皇です。何千年も先の未来まで見通していた王仁三郎は、憲法に定められた天皇などという小さな存在ではなく、神定の天皇を仰いでいたのです。
人類社会が少しずつ進化しているように、天皇も小さなところから始まって少しずつ進化しています。帝国憲法下の天皇も、現憲法下の天皇も、進化の発展途上にあり、神定の天皇の役割をまだまだ全然果たしておりません。
王仁三郎は、本来あるべき天皇の役割を指し示した、と言えます。
結論を言うと、天皇制度に賛成とか反対とか、そういう次元の見方では、とうてい王仁三郎のことは分からない、と言えます。 -
Q:王仁三郎は平和主義者ですか?
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A:これも前の質問と同様で、戦争か平和か、という次元ではとうてい王仁三郎のことは分からないと思います。
王仁三郎の入蒙(大正13年)と軍部の大陸進出を重ね合わせて、「王仁三郎は日本帝国主義の先棒(さきぼう)を担いだ」と批判する人もいますが、王仁三郎のある一面だけを見て「平和主義者」だとか「日帝の手先」だとか言うのはあまりにも短絡的なものの見方です。
王仁三郎は人間界的な善悪を超えて活動した人です。たとえて言うなら台風のようなものです。
台風は人間様にとっては迷惑な存在です。交通機関は乱れるし、モノは吹き飛ぶし、川が氾濫して洪水が起きて家や車が流されてしまうときもあります。ほんとに迷惑です。
しかし台風があるから、空気が入れ替わり、大気がきれいになります。川が氾濫して洪水になるから、川にたまった泥が排水され、それが大地に養分となって染み渡るのです。痩せた大地が甦るのです。そういう大自然の循環、再生の働きをしているのが台風です。人間様のレベルでは「悪」でも、地球全体から見たら「善」と言えます。
その大自然の力が発動して人間の肉体をもって現われたのが王仁三郎です。ぶっ飛んだ話のように思うかも知れませんが、しょせん人間も自然の一部であることを考えると、人間社会のクライシス(危機)の局面において、それを打開する役割の個体が出現することは何ら不思議なことではありません。生物はみなそうやって生き延びているのです。
そもそも「平和主義者」と「日帝の手先」とはまったく真逆の評価であると思います。ある人は王仁三郎を「神」だと言い、ある人は「悪魔」だと言います。そういう真逆の見方が生じること自体、王仁三郎が善悪を超越して活動した証拠だと言えます。
王仁三郎は自分のことを「三千世界の大化物」と称しましたが、善か悪かという二元論的な見方では「大化物」の正体は見えてこないことでしょう。
(なお、王仁三郎は「三千世界の大化物」でも、その子孫はみな「ふつうの人」ですので、誤解のないようにお願いいたします) -
Q:大本は今どうしていますか?
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A:第二次大本事件で大本は活動を禁止され、建物は破壊され、地上から姿を消しました。しかし形はなくなっても、信仰は残りました。隠れキリシタンのように秘かに信仰を続けて来た信者たちを集めて、王仁三郎は昭和21年2月7日に「愛善苑」という名前で大本を新出発させました。
王仁三郎の昇天後は妻の澄子(二代教主)が、その後は長女の直日(三代教主)が継ぎ(大本神諭によって、跡継ぎは女と定められています)、教団名は「大本愛善苑」そして「大本」と変わり、現在でも宗教活動を続けています。
しかし昭和50年代に内紛が起きて、教団組織は三つに分裂しました。これを「第三次大本事件」(あるいは「反教団事件」)と呼んでいます。
教団執行部の方針に反対するグループが二つ(いづとみづの会、出口直美様を守る会)誕生し、執行部は彼らを除名。訴訟にまで発展しましたが、結局分裂は解消されずに今日まで続いています。
「宗教法人大本」「大本信徒連合会」「宗教法人愛善苑」の三つです。
【宗教法人大本】 世間一般に「大本」と言えばここを指します。他の二派と区別するときは「本部」とか「教団」等と呼ばれています。信徒数は一番多いです。綾部と亀岡の聖地(梅松苑、天恩郷)を管理しているのはこの団体です。
出口直日(三代教主)の長女・直美氏が本来は四代教主を継ぐ予定でしたが、夫の榮二氏と共に執行部の方針に逆らったとして教団を追放されました。平成2年(1990年)に直日が昇天した後は、三女・聖子(きよこ)氏が四代教主を継ぎ、二女・麻子(あさこ)氏の娘である紅(くれない)氏が聖子の養女となって五代教主を継ぎ、現在に至っています。
当然ながら各派によって主張は異なり、大本本部ではこの事件を「反教団事件」と呼んでいます。主張の内容はこちらをごらん下さい → 大本本部の公式サイトの中の「反教団事件」の本質
【大本信徒連合会】 追放された出口直美(直日の長女)氏を四代教主として平成4年(1992年)に結成。事務局を綾部の「愛善荘」に置いています。略して「連合会」。昔は「守る会」(出口直美様を守る会)でした。
「教祖の死後は内紛が起きる」というのは新興宗教のお決まりのパターンです。よくある話で珍しくありません。しかし他の宗教と異なるのは、このグループはあくまでも大本の一員であるということで「大本」の「信徒」の「連合会」と名乗り、独立した宗教法人にはなっていない点です。三代教主の昇天によって四代教主が二人並立し、組織の分裂が確定してしまったのですが、そういう場合は他の宗教だと、独立して「お互いに別々の道を歩んでいこう」ということになります。しかし大本信徒連合会はあくまでも大本への復帰を目ざしています。大本本部は平成3年(1991年)12月8日に「反教団事件解決奉告祭」を行い、『もう事件は解決した』『大本信徒連合会は大本とは別の宗教』という立場ですが、大本信徒連合会は『まだ第三次大本事件は継続中である』『自分たちは大本の一員である』という立場です。
大本信徒連合会の主張はこちらをごらん下さい → 大本信徒連合会の公式サイトの中の「第三次大本事件」
【宗教法人愛善苑】 「いづとみづの会」をベースにして、昭和61年(1986年)11月に発足しました(翌年、宗教法人となる)。愛善苑というのは昭和21年に新発足した愛善苑と同じ名前ですが、「王仁三郎の原点に還ろう」ということで同じ名前を採用したようです。『第三次大本事件は愛善苑の誕生によって事実上終わった』というような見解です。
王仁三郎の孫で、『大地の母』を執筆した出口和明(やすあき)氏が中心人物でしたが、この団体は教主を置きません。出口王仁三郎を「永遠の苑主」としています。大本本部と連合会の違いは主に「教主は誰か」ということですが(「道統問題」と呼びます)、愛善苑の違いは教祖にまでさかのぼります。大本では「二大教祖」として出口直と王仁三郎の二人を教祖として仰いでいるのに対して、愛善苑では「王仁三郎のみ」を教祖にしています。教典も大本では大本神諭と霊界物語が「二大教典」ですが、愛善苑では「霊界物語のみ」です。また奉斎主神は、大本が「大天主太神」(おおもとすめおおみかみ)であるのに対して、愛善苑では「神素盞嗚大神」(かむすさのおのおおかみ)です。
事務局(愛善苑本部)は亀岡の中矢田町という、王仁三郎の子孫が集まって住んでいる地区にあります。 愛善苑の公式サイト
昭和61年(1986年)に出口和明氏が「十和田龍」というペンネームで発刊した『第三次大本事件の真相
』(自由国民社)で、大本の内紛が世間に知られるようになりました。この本は愛善苑の公式見解というわけではなく、また、あくまでも著者の立場での見方に過ぎませんが、第三次大本事件で何が起きたのかを詳しく知ることのできる、唯一の公刊本です。 -
Q:王仁三郎の子孫は今どうしていますか?
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A:王仁三郎・澄子夫妻には子供が8人生まれました。そのうち2人(男子)は1歳未満で夭折、1人(女子)は10代で亡くなり、成人したのは女子5人です。そのため一般には王仁三郎の子は「娘5人」と表現されています。
- 長女 直日(なおひ)…三代教主
- 二女 梅野(うめの)
- 三女 八重野(やえの)
- 四女 一二三(ひふみ)…10代で帰幽
- 長男 六合大(くにひろ)…夭折
- 五女 尚江(ひさえ)
- 二男 相生(すけなり)…夭折
- 六女 住之江(すみのえ)…相生と住之江は双子
孫の世代までは何らかの形で教団関係の役職員になっていた人が多かったようですが、今では教団の外で働いている人の方がはるかに多いようです。
主な著名人としては次の人がいます。いずれも王仁三郎の曾孫になります。- 出口光(ひかる)…メキキの会会長。元タカキュー社長。アメリカで心理学の博士号を取得。梅野の孫。
- 出口汪(ひろし)…水王舎会長。「論理エンジン」開発者。予備校の現代文のカリスマ講師として有名になった。八重野の孫。
- 出口鯉太郎(こいたろう)…備前焼の陶芸家。母方の祖父は人間国宝の金重陶陽(かねしげ・とうよう)。尚江の孫。
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Q:王仁三郎の髪型はどうなっていますか?
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A:王仁三郎の写真を見ると、頭が妙に盛り上がっています。
ヘアーネットを外すと、このようになっています。ずいぶん独創的?な髪型ですね。
(略)髪は神への架け橋であるから、多くて長いのが結構である。(略)美術家などが髪を長くすることは誠に理由のあることで、これでなければよい想(そう)は浮かんで来ない。インスピレーションというのは神からの内流である。頭髪だけは毛と言わずして「カミ」と言うが、神の毛の意味である。〔『玉鏡』「頭髪」より〕
王仁三郎が髪の毛をブラッシングしている貴重な映像があります。愛善苑のホームページに置いてあります。
「人間・出口統管のプロフィール」(昭和9年12月1日 於昭和神聖会総本部)
リンクをクリックして動画をダウンロードして再生して下さい。モノクロの無声映画で4分15秒あります。
横浜に昭和神聖会の総本部があったときに撮影したもので、王仁三郎の横顔を軽く紹介するものです。
真ん中あたりに髪をブラッシングするシーンが出てきます。
意外と実用的なヘアースタイルだったのではないかと思いますよ。寝癖がついても髪を束ねてヘアーネットを被せてしまえばいいのですから。
余談ですが60歳超えてもこんなに髪の毛フサフサなのはうらやましい限りです。(^_^;
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Q:王仁三郎はニセモノですか? 王仁三郎は霊界物語の中で「今の変性女子(へんじょうにょし…王仁三郎のこと)はニセモノだ」と書いており、自分は偽の救世主だと自白しているそうですね? ホンモノの救世主は美濃か尾張の国から現われるそうです!
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A:「王仁三郎は偽者だと自白している」という説の根拠は、霊界物語第13巻の巻末の「信天翁」(あほうどり)という歌です。
大正時代に出版された初版本では、次のような歌になっています。
今 大本にあらわれた 変性女子(へんじょうにょし)はニセモノだ
誠の女子(にょし)が現われて やがて尻尾が見えるだろ
(中略)
時節を待っていたならば いずれ現われ来たるだろ
ミノか尾張の国の中 変性女子が分かりたら
モウ大本も駄目だろう 前途(さき)を見こして尻からげ
一足お先に参りましょう 皆さまあとからゆっくりと
目がさめたなら出て来なよ めくら千人のその中の
一人の目明(めあ)きが気を付ける アア惟神(かんながら)々々
かなわんからたまらない 一足お先へさようなら。
これを読むと、今の変性女子(王仁三郎のこと)はニセモノで、美濃(岐阜県南部)か尾張(愛知県西部)からホンモノが出現するというようなことが書いてあります。たしかに王仁三郎が自分はニセモノだと自白している歌のように思えますね。
しかし王仁三郎は昭和10年(第二次大本事件の直前)に自分の手で霊界物語を校正した際に、「一人の目明きが気を付ける」以降を次のように書き換えました。
一人の目明きが気を付ける なぞと慢神(まんしん)してござる
王仁(おに)はこの言(こと)聴くにつけ お気の毒にてたまらない
こんな判らぬ奴ばかり めくらばかりがささやけり
──変性女子はニセモノだと言う人がいるがお気の毒である──と書いてあります。
つまりこの歌は、今の変性女子はニセモノだと勘違いしている人がいる、ということを批判的に歌っているのです。
しかし校正された霊界物語が初めて刊行されたのは、昭和34年です(天声社の「普及版」)。
その間に、「自分はニセモノだと王仁三郎が自白している」という話が一人歩きしてしまい、今日に至るまでそういう誤解をしている人が後を絶たないようです。
これは最初に王仁三郎が歌を書き間違った、ということではなく、王仁三郎を否定したり、反対したりする人たちをあぶり出すための意図的な陽動作戦だったようです。
たとえば、大本信者だった中野与之助は、王仁三郎昇天(昭和23年)後の昭和24年に静岡県清水で「三五教」(あなないきょう)(霊界物語に出てくる三五教の流用です)という新興宗教を興しました。昭和28年頃に大本信者に対して、自教団に勧誘するため次のような文面の葉書を送付したそうです。(八幡書店『霊界物語』第三輯の月報の中の音羽遊『仕掛けられた「アホウドリ」の秘密』による)
「霊界物語第十三編の信天翁の宣伝歌を御拝読下さい。「目がさめたら出て来なよ」と歌ってありますが、お気付きに成ったら清水の三五教にお出かけください。」
彼は自分がホンモノの救世主だと主張したかったのかも知れません。
このように王仁三郎の「アホウドリ」のトリップに引っ掛かる人が、今に至るまで後を絶たないようです。
【戦前出版された初版本】 【昭和34年に出版された普及版】(校正後の文章) -
Q:「裏神業」とは何ですか? また、大本と「日月神示」との関係は?
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A:「裏神業」(うらしんぎょう)も「日月神示」(ひつきしんじ)も、大本系の新興宗教です。
「裏神業」とは王仁三郎が用いた言葉ではなく、おそらく泉田瑞顕(いずみだ・ずいけん)が使い出した言葉です。泉田瑞顕は昭和9年に入信し、戦後は本部職員(当時は愛善苑)をしていましたが、王仁三郎から、ある神業を行えという密命を受け、やがて独自の宗教活動をするようになりました。表の「大本神業」に対して、裏の神業が「大本裏神業」です。「本来は大本の中でやるはずだったが、何らかの理由で大本の外でやることになった」神業が、裏神業と呼ばれているようです。
また日月神示は、やはり大本の職員をしていた岡本天明に、昭和19年から下った神示です。やはり本来は大本の中に下りるはずだったが、仕組が変わって、大本の外に下りた…とも言われています。極めてマイナーな神示で、一部の大本マニアしかその存在を知りませんでしたが、平成3年(1991年)に神典研究家の中矢伸一が日月神示の入門書を発表したことで一気にブレイクし、今では王仁三郎より有名かも知れません。
彼らのように、王仁三郎の在世中から、大本の中で独自の宗教活動をする人がたくさんおり、どこからどこまでを裏神業に含めるかは人によって違いますが、重要なポイントは、裏神業の思想はあくまでも表(大本)に依拠した存在だということです。
大本系と言われる新興宗教はたくさんあり、中でも生長の家(教祖・谷口雅春)や世界救世教(教祖・岡田茂吉)が有名です。しかし大本系とは言っても、それらの教祖が一時期、大本の信者として修業した、というだけのことです。王仁三郎の影響を大きく受けたかも知れませんが、彼らが打ち立てた宗教の体系は、大本とは全く異なるものです。つまり生長の家も世界救世教も、大本が存在しなくても、独立して存在することができます。
しかし裏神業は、あくまでも大本という基盤の上に成立しています。「大本の中でできなかったことを外でやった」のであり、大本とは関係なく独立して存在することは不可能です。
たとえて言えば、ユダヤ教とキリスト教の関係に似ています。キリスト教はユダヤ教の上に存在しています。ユダヤ教の聖書がキリスト教では「旧約聖書」です。イエス・キリストはユダヤ教の改革派であり、神との新しい契約を打ち立てました。それが「新約」です。あくまでもユダヤ教がベースにあります。それに対して仏教や神道は全く別個の宗教であり、ユダヤ教やキリスト教がなくても存在できます。
日月神示も、私が読んだかぎりでは、8~9割くらいは大本神諭と同じことが書いてあり、また、霊界物語を知らなくては解読できない部分も多々あります。つまり大本の思想をベースにして日月神示は成立しています。
このような点で、裏神業や日月神示は「大本系」の中でも特に大本に近い「大本直系」の新興宗教と言えるでしょう。
しかし当然ながら大本では、裏神業や日月神示が「本来大本の中で…云々」という主張は認めておりません。あくまでも「他の宗教」です。ですが神の壮大な経綸の中では、裏神業や日月神示も何らかのお役目を果たしていることは言うまでもありません。 -
Q:飯塚弘明とは何者ですか? 大本の人ですか?
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A:「王仁三郎ドット・ジェイピー」を運営している飯塚弘明(これを書いている私ですが)は、大本の信徒ではありません。広い意味では信者と言えますが、宗教団体に入って組織活動しているのではなく、独自に活動しております。
プロフィール等についてはこちらをお読み下さい→「飯塚弘明.com」
地球に誕生した究極にして至高な存在である王仁三郎を師と仰ぎ、その偉大な功績を世界に顕彰し、霊界物語の普及を通して王仁三郎の精神であり日本建国の精神である「言向け和す」を世界に伝え、みろくの世の建設に奉仕して行くことが私のミッションです。
宗教団体には入っていない…とは言っても、三つの団体いずれにも片足の半分くらいは入れております。それらの団体は王仁三郎の聖地を管理し、教えや祭典といった有形・無形の文化・財産を維持し継承して来た人たち(つまり信者)の集団です。決して無視してはいけないのであり、感謝と敬意の気持ちでもって、出口家の方や、信徒の方たちとお付き合いさせていただいております。
会社にせよ国家にせよ、どのような組織であれ、それを経営するにあたっては、様々な人の利害・価値観の違いから、諸々の紛争が起きてしまうことは致し方ないことでありまして、大本が三つに分裂することになった内紛事件もまた時の流れでありましょう。
しかしそれもまた神の経綸の一部であります。
少なくともはっきり言えることは、分裂してくれたおかげで王仁三郎が「大本」から解放された、ということです。
出版物に関して言えば、従来は天声社一社しか出版社がありませんでしたが、分裂によって愛善世界社、みいづ舎、八幡書店からも王仁三郎の著書が出版されるようになりました。それによって、戦後は未刊行だった著書も復刻版として手軽に読むことができるようになりました。私が霊界物語を電子化したのも、天声社以外に、愛善世界社と八幡書店からも出版されていたからです。法律上は著者の死後50年を経過したら著作権が切れて、誰でも自由に出版することができるのですが、もし未だに天声社一社しかなかったら、『許可なく電子化するのはまずいかも』と思って、電子化をしていなかったと思います。天声社以外からも出版されていたので『もう解禁になった』と確信することができたのです。
つまり分裂によって、王仁三郎が自由化された、解放された、と言えます。複数の宗教団体に分裂したことによって、王仁三郎が「大本」という特定の宗教団体の教祖様ではなく、その垣根を超えて、誰でも自由に王仁三郎に接することができるようになったのです。
これは、大本が新興宗教の段階から、世界宗教へと脱皮して行くための必要なプロセスだとも言えます。
キリスト教にせよ仏教にせよ、世界に広まっている宗教はみな、単一の団体ではなく、無数の教派・宗派に分裂しています。分裂とは解釈の相違から起きるのであり、それだけ多様な意見がある、ということです。多様な意見があるからこそ、多様な人々の耳に入ることができるのです。
つまり広まるということは、多様化する、ということに他なりません。
王仁三郎の教えを世界に広めることは、決して大本という単一の宗教団体では達成できないことです。霊界物語でも、スサノオが導く「三五教」(あなないきょう)は世界単一の組織ではなく、各地に教主がいて、独自の組織で活動しており、また「宣伝使」は基本的に集団で行動しているのではなく、単独で行動しています。
出口家ばかりでなく、信徒の家族も四分五裂させて大惨事となった第三次大本事件は、大本が世界宗教になるための産みの苦しみだったと言えます。
そのような点で、それぞれ信念に基づいて第三次大本事件を戦って来られた出口家、信徒の皆さまには、たいへん感謝いたします。まったく皮肉な話ですが「分裂してくれてありがとうございます」というのが私の本音です。内紛のおかげで、今日の私がいるのだし、また霊界物語等をインターネットを通してたくさんの人が読むことができるようになったのです。
王仁三郎は弾圧されたとき「大本はいじればいじるほど大きくなる」と下ネタ混じりに言い放ちましたが、まさにそういうことです。大本の組織自体ではなく、大本の霊界が大きく広がったのです。
人類の歴史において闘争や分裂も、神様の御用であったことは言うまでもありませんが、それがいつまでも永久に続くわけではありません。今、歴史は次の新しい局面へと展開しつつある最中です。その新たなる段階の御用に奉仕される方が一人でも多く増えることを希望します。