王仁三郎は昭和6年9月8日に鶴山(本宮山の別名)山頂に「鶴山歌碑」を建てたのを皮切りに、日本を救うために全国に48基の歌碑を建立しました。
そのうち台湾には2基の歌碑があります。
台湾別院内の草山 歌碑(憧憬歌碑)と、基隆 別院内の基隆別院歌碑です。
どちらも第二次事件後に撤去されてしまい、破壊されたのか、それとも今でもどこかに寝転がっているのか、行方は分かりません。
蓬莢 のしまの要 よ草山 は山川すがしく生きの極 なし
太平洋あら浪 わけて常夏のしまをさやけみ吾 来つるかも
そのうち台湾には2基の歌碑があります。
台湾別院内の
どちらも第二次事件後に撤去されてしまい、破壊されたのか、それとも今でもどこかに寝転がっているのか、行方は分かりません。
草山歌碑(憧憬歌碑)

太平洋あら
所在地 | 台湾 台北州 七星郡 士林 庄草山 台湾別院 |
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建設 | 昭和8年(1933)8月8日 |
碑石 | 自然石 |
大きさ | 縦 6尺(182cm)、横 3尺(91cm) |
基隆別院歌碑
(表) 足引 の山川さやけし海原 は太平の浪 とはに世を歌ふ
(裏)蓬莢 のしまの風光 忘れかね吾 は三度 を渡り来にけり (※)
(裏)
所在地 | 台湾 基隆市 幸町一丁目39ノ1 基隆別院 |
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建設 | 昭和8年(1933)9月20日 |
碑石 | - |
大きさ | 縦 1丈2尺(364cm)、横 2尺8寸(85cm)、厚さ 1尺8寸(55cm) |
(※)原文は「蓬莱の紫滿農風光忘れ兼 吾は三度を渡り来禮李」なので、文末は「来たれり」だと思うが、いろいろな資料を見ると「来にけり」になっている。
(作成:2007/9/19)