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出口王仁三郎の第3回台湾巡教(昭和8年)
8月9日 | 亀岡天恩郷を出発。神戸から吉野丸に乗船。 |
8月12日 | 基隆(きりゅう)に到着。基隆分所に宿泊。 |
8月13日 | 基隆から台北・草山(そうざん)の台湾別院へ。午後、徒歩で霊泉郷へ。 |
8月16日 | 草山から花蓮港(かれんこう)へ。台北から汽車で蘇澳(そおう)へ。蘇澳から車で花蓮へ。花蓮の小川邸に宿泊。 |
8月17日 | タッキリ渓(太魯閣峡入口)へ。夜、「蕃人踊り」を見学。 【日記】 |
8月18日 | 花蓮から車で蘇澳へ。蘇澳から宜蘭(ぎらん)へ。宜蘭で宿泊。 |
8月19日 | 宜蘭から台北・草山の台湾別院へ。 |
8月20日 | 台湾別院の歌碑(憧憬歌碑)の除幕式。 |
8月23日 | 台北から山線経由で台中へ。高橋宅(出口新衛の実家)に宿泊。 【日記】 |
8月24日 | 台中から車で南投、彰化へ。彰化から汽車で二水へ。二水分院の増沢宅に宿泊。 |
8月25日 | 神示により南下(大南、嘉義、高雄行き)する予定を中止。二水に滞在。 |
8月26日 | 二水から台中へ。 |
8月28日 | 台中から台北へ。台湾別院に宿泊。9月3日まで台湾別院に滞在。 |
9月3日 | 台湾別院から台北、基隆へ。基隆にて宿泊。 |
9月4日 | 基隆から大和丸に乗船して帰路に就く。 |
昭和8年8月17日の日記
王仁三郎の第3回目の台湾巡教のときの、8月17日の日記(記述・土井靖都)です。
機関誌『真如の光』(多分9月17日号)に掲載された「聖師様台湾巡笏記(四)」からの引用です。
文中の揮毫「〓」は文字がかすれていて判別できない文字です。「■」は多分「驕」という文字だと思います。
八月十七日 曇
台東より松井金次郎 氏夫妻聖師様に御挨拶に見ゆ。生蕃 近藤 の称 ある生蕃の慈父近藤 勝三郎 氏も御目にかからる。御歌七首御口述、午前八時四十分発、自動車三台によりタツキリ谿 に向はる。谿を少しく遡 れば太魯 閣峡といふも多く之を混同して用ゆるといふ。国立公園候補地なり、タツキリ谿より花蓮港 方面一帯に亘りて黄金四十億と横堀博士をして叫ばしめしも先き頃の事なり。御伴加藤女史、中山氏夫妻、増沢氏、石田氏夫妻、松井氏、池本氏、形山 氏、及土井車をすてて聖師様山■を召され、加藤、中山、石田三夫人は御同様の歓待を受けらる。入峡 一里弱にしてつり橋、仙〓橋を渡り太魯閣茶屋に■を下 さしむ。大理石の懸崖 左右に連なりて峡中 の勝景なり、ここにて生蕃人 の手作りになる原始的土人形 多数御求めになる。■をあげて更に奥深く進めば山道大理石を穿ち、石質次第に良し。行くこと二十余丁「不動尊」に達す。湧泉 清きこと玉の如し、暑熱頓 に消失す。ここにて写真を撮影せしめやや暫くにして■を返す、花蓮港に帰りて支部建設予定地の御検分を願ひ二時四十五分小川氏宅に御帰着。
それより額面書三枚、フスマ型絵に御加筆六枚、色紙二十五枚短冊三十三枚屏風一に御揮毫、松井金次郎氏に観音様、石田順平氏に達磨様の半折 をお下げになる。
夜蕃人踊り御覧に入れらる。男組は二十六人、羽〓〓の如き頭装 をつけたるもの七名、洋服をつけたるものもあり。是は警察官なりといふ。ネー、ヤーのかけ声も勇壮なり。女組は十九名、その声清浄純粋、其調 自然にして品 甚だよく、人知れず涙の双眼にあふるるを禁ぜさらしむ。了 りて一蕃青年聖師様の御前に進み「是は神様から教へられた踊りであります。之を踊れば神様はたいへんにお喜びになります」といへり。自動車を返して直ちに加藤女史は昭和青年会館に於て「人生の諸問題」の題下に大本講演をせらる聴衆約百五十名。加茂野 氏は在郷軍人未教育者百五十名計りに対して国体闡明講演を露天に於てされる。
機関誌『真如の光』(多分9月17日号)に掲載された「聖師様台湾巡笏記(四)」からの引用です。
文中の揮毫「〓」は文字がかすれていて判別できない文字です。「■」は多分「驕」という文字だと思います。
八月十七日 曇
台東より松井
それより額面書三枚、フスマ型絵に御加筆六枚、色紙二十五枚短冊三十三枚屏風一に御揮毫、松井金次郎氏に観音様、石田順平氏に達磨様の
夜蕃人踊り御覧に入れらる。男組は二十六人、羽〓〓の如き
昭和8年8月23日の日記
王仁三郎の第3回目の台湾巡教のときの、8月23日の日記です。
機関誌『真如の光』に掲載された「聖師様台湾巡笏記」からの引用です。
午後十二時十三分列車は予定通り台中駅御着き駅頭には住之江 様高橋義衛 氏高橋分所長を始め昭青 坤生 会員各三十余名会旗を奉じて御出迎へあり、聖師様には自動車にて直ちに高橋氏宅に入 られ御寛 ぎになる。御一服の処へ台湾新聞社外交部長遠藤東之輔 氏の来訪あり聖師様には快 よく御面接あり暫 く満蒙問題、宗教問題等につき御話があつて同氏の懇請によりカメラにお入りになつた。台北より御同行申上げた木下氏新竹よりの生源寺 氏等午後二時過ぎ辞去さる。
御夕食後信者五十余名に御面接あり、夕拝後土井特派より本部指令事項に付き御話あり後 加藤明子氏女史より御神徳談の御取次ありて即席冠句の課題あり、聖師様より中南部御巡笏 順路に付き御示しを頂く。
機関誌『真如の光』に掲載された「聖師様台湾巡笏記」からの引用です。
午後十二時十三分列車は予定通り台中駅御着き駅頭には
御夕食後信者五十余名に御面接あり、夕拝後土井特派より本部指令事項に付き御話あり
このページは出口三平氏が編纂した『台湾現地研修会資料』(1990年、愛善苑・発行)に収録されている資料を元に作成しました。
(作成:2007/9/27)
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