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大本神諭について
大本神諭とは、
- 明治25年(1892年)旧正月に、綾部で出口直に国祖・国常立尊が神懸り、翌26年から大正7年(1918年)11月に昇天するまで、半紙20万枚で筆でメッセージが記された。それを「筆先」(ふでさき)と呼ぶ。
- 筆先は平仮名と漢数字だけで書かれており、簡単には読めない。そのため出口王仁三郎が漢字を当てはめて、ふつうに読めるようにした。それを「大本神諭」と呼ぶ。
- 筆先のすべてが大本神諭化されたわけではない。大本神諭になっていない筆先もある。
- 大本神諭は、機関誌『神霊界』大正6年(1917年)2月1日号から大正9年(1920年)4月1日号にかけて掲載された。
→詳細はオニペディアの「大本神諭」のページをごらん下さい。
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